バレンタインデーを祝ってくれない怒り
バレンタインデーを祝ってくれないんです。
それがイヤでイヤで仕方がない
というお題でIHのセッションが始まりました。
私が行っているセッションは、
自分の中で不満が出て来てそれが拭いきれない時に是非、来て下さいと言っています。
感情が出て来ている時にキャッチすると
その裏にある信念体系を引き抜く事が出来るからです。
そのセッションがインテグレイティッドヒーリングというセッションの真髄だと思っています。
さて、バレンタインデーを祝いたいというお題で
ゲートを開きました。
すると、
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『〜をしないと、ダメな子』
というレッテルを自分に貼って来たクライアントさん。
(*別に親に言われた事は記憶上、一度もないらしい)
『”生きていてくれるだけで幸せ”
なんて戯言だと思っています。
何かをするから価値があると思っています。
なんにもしなくなったら、どうなるんだろう。
なんて考えた事もないし、今、考えても
この稚拙な頭では
道ばたで物乞いをしている人
としか思い浮かびません。
何かをする事に意義があると思っています。
バレンタインデーを祝う事
誕生日をお祝いする事
結婚記念日やら初デートやら。
何かをする事で存在意義を確認している気がします。
でも、彼は言うんです。
『毎日がバレンタインデーなんだから、
毎日を大切に過ごせば良いじゃん』
って。
何かをお祝いする事=何かしないと=Doing
毎日を幸せだと過ごす事=自分に満足=Being
ーーーーーーー
ここで、根本原因として浮上して来たのが
『何かをしていない私は、だめな人間』
ってところでした。
だから、外に対しても同じ様に見ます。
外のDoing が気になり始める。
あの人は何を言ったのだろう。
あの人は何をしているのだろう。
あの人は何を聞いているんだろう。
あの人は何を見ているんだろう。
私の事が好きかしら?
私の事を好きと表現する為に何をしてくれるんだろう?
私の事を何と言ってくれるんだろう?
ひとのDoingが気になる、気になる。
『そう言えば、Facebookが止まらない感じ。
ほいで、すごくメンタルが疲れるっていうパターンです。』
と。
ここまでが
彼女に『バレンタインデー祝ってよ!』という心情でした。
なるほど、凄く分かる。
Doingにフォーカスを置いているから、疲れるよね。
私もそうだったから、分かります。
さて、セッションは
そこをBeingにシフトするセッションでした。
Doing でいる事に価値を置くのではなく
Beingでいる事に価値を置きはじめる。
彼女のゴールは『人の幸せを願う』
なるほど。
壮大な感じがするけど、潜在意識は一番しっくりとうなずいている感じでした。
人の幸せを願うと言う事は
同時に自分の幸せをもすでにもっていると言う事。
だから、 Doingに縛られる必要がない。
自分が幸せであるからこそ、人の幸せも願えるのか〜
『はい、では、想像して下さい』
とお話をすると、白目をむいちゃった。
アクセスした事がないから、分からないです。。。。と
そこで出て来たのが『サバイバルプログラム』でした。
彼女にとって、 Doingをする事で必死に生き抜いて来たんだと。
だから、その代償として、 人からのDoingも見たいと。
そう伝えると、
『もう、そこにいるのは人をコントロールする事になるから
疲れます。
もう、本当に幸せだなーって生きたいです。
バレンタインデーに怒っているって、
愛を感じたいのに、全く別の方向へ進んでいますよね、私。』
と。
うんうん。
私たちは、
『何かをしていない私はダメな人間』
と思っている方がお尻にムチを打って前に進んでいる気がします。
でも、
自分は幸せだって思って生きた方がもっと楽に前に進めるのに。
人は何をしているだろう?っていう余計なエネルギーを使わずに
済むから。
「人の幸せを願う。」
凄いなーこういうゴールが出る彼女って、、、、
本当は Doingに惑わされていただけで、
多分、愛の出力法がサバイバルプログラムによって自分を苦しめる方向に出ちゃっただけなんだろうなー
サバイバルプログラムを解除した後、
白目が治って『彼に愛しているって伝えて来まーす』と
帰って行きました。
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