ひとのせいにしたい
- Izumi Takiguchi
- 2016年2月27日
- 読了時間: 3分
今日のクライアントさんは
『自分がこれだけ正しいのに分かってもらえない』
というお題で来ました。
正しさを主張するのは疲れます。
自分が見ている現実世界と相手が見ている現実世界が違うから。
これは、子宮のクラスのグラウンディングの中で
潜在意識のお話をしますが、
この世界が違う事がまあ、沢山の妄想クラッシュ(お互いの世界が噛み合なくて喧嘩になる)を作り出します。
とりわけDoing Good だと、ここにハマりやすくなります。
なぜならば、Doing Good は正しさを求める所に行きつきやすいから。
でも自分にとって良い事をしていると思っても、
相手にとったらありがた迷惑なんてよくあります。
ほいで、こちらとしては良い事してやったのに!って鼻息ぶうぶう
あちらとしては、余計な事しやがってと血管ブチギレ
そんな彼のセッションで出て来たカードは
” 自分の見方を分かってもらえなかった時に、
相手が間違っていると言い負かそうとしたり、
自分の何が悪かったんだろうと思うのを止めなさい。”
というもの。
げえええー超分かる。
私も、先日
『ハニー、ここにもタマネギの皮が落ちてるよ』
とあり得ない所に落ちていたタマネギを拾って
即座に『私のせいじゃない!』と自己防衛にはいった私。
『単純にタマネギが落ちていると言っただけなのに』
と言うけど
『いや、アンタは私に対して責めていたね。
私がタマネギを落としたと責めた!』
と言いがかりが止まらない。
ただ、頭の片隅でもしかしたら、あの時に落ちたのかもしれない。。。ともよぎるが、
『犬が運んだに違いない』
という誰かのせいにして終わりたい衝動が止まらない。
私はこんなにも一生懸命にお料理をしているのに、責める気?!
と戦闘態勢が止まらない。
単純に『そうね、タマネギが落ちているわね』と言えば良いのに
私の『何かをしなければ!』発動機が稼働中。
Doing が思考の根底にあるとすぐにこんななっちゃう。
さて、
彼のセッションは『正しさが分かってもらえない』という所。
正しいと分かってもらえたら何が得られるのだろうか?
『愛されていると思って、ホッとします』
では、愛される所が本来の目的なんですね。
『はい』
Love(愛)をとるか、 Right(正しさ)を取るか。
愛されたいが為に正しさを主張して
愛から遠のいて行くって悲しいですね。
自分がミステイクを犯したら
人から愛されなくなる。。。。
この恐ろしい妄想/信念体系は手放した方が得な様です。
『タマネギが落ちているわね、きゃは』
といってみようか。
あー口がひん曲がりそうだ。
正しさを主張するかわりに、なんて言おうか。
ま、愛を取ると言う事は、、、、むむむむむ。
『タマネギって愛しいぜベイベー』か?
ちょっと方向性が違っている気がする。
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そう言えばクライアントさんは
『相手の真意を聞いてみる』が
これからのゴールとなりました。
頭の中の妄想が始まる前に、
目の前の人の真意を聞く一瞬の呼吸が必要なんだ、、、
私も今度、タマネギを見つけた彼の真意を聞いてみようかと思います。
*落としても拾う気持ちゼロ、きゃは!