誕生日
- Izumi Takiguchi
- 2016年3月1日
- 読了時間: 2分

先週末は誕生日でした。
朝、ハッピーバースデーといわれて目が覚めると
うちの犬がバルーンをカラダに引っさげて私の横に寝てました。
ぶううううう~!!!
と笑って目が覚めた誕生日の朝。
こんな朝が来るなんて思ってもみなかった。
彼が、さあ、朝9時には出発だ。
と言うので
何が起こるのかを楽しみに移動です。
誕生日は特別な気がします。
何をしなくても、ただ生まれて来ただけで
存在しているだけでお祝いしてもらえる事。
存在する事でみんなが集ってくれること。
体調を崩してから、ベッドの上で色々な事を思いました。
あんなに絶好調だったカラダに異変が起きるのは
何かを思いだす事だよなーっと。
カラダがグズグズの時に
『あなたは、崖っぷちのぎりぎりを歩く事が人生の醍醐味だと思っています。
でも、恐怖や不安がたえずあり、カラダは酷使されています。
私は、あなたのカラダを駐車場まで連れて行く事は出来ます。
駐車場で少し休めば、カラダは安心感を取戻し、回復するでしょう。
でも、きっとあなたはまた崖を歩きに行こうとすると思います。それは、君の選択であり、私が出来る事はありません。
ただ、崖に行こうとするとカラダは極度のストレスを感じ、また君の場合は皮膚に勃発するでしょう。他の人は女性器に出たり、呼吸器に出たり。。。
駐車場でも、幸せだと感じられる事が君にとっては必要です』
それを思いだしました。
崖っぷちにいく事は、
『みてみて~!私これだけ出来るのよ!』
と人を驚かせたくて、人に興奮を与えたくて仕方がない。
また、
自己犠牲の場合もこのパターンだと思います。
『みてみて、あなたの為にこれだけやっているのよ~』って。
先日の生理の重さは
その前の月に崖っぷちに行こうとしてたマインドによるカラダの反応だったんだなーと感じます。
サンディエゴの産婦人科でワークショップをしませんか?と
打診をされて
こんな事も必要かも、あんな事も必要かも、これも伝えた方が良いかな、あれも伝えたら良いよなー
って頭の中をグルグルグルグルしていたんです。
でも、結局はそれは他人軸でした。
彼女達が聞いたら良いかもってことを捜索しながら自分の知識を掘り起こしていた結果であり、
私が本当に伝えたい事から少しずつ離れて行きました。
これだったら喜んでもらえるかな?
一見、とても良い人の様な気がします。
でも、それは自分自身を蝕んで行くのだなーと。
そんなことがあった上での誕生日。
よし、方向転換できる誕生日を迎えられました。