Pain とSufferingの違い
トニーロビンズが言っていた。
自分が苦しんでいるのは、Pain なのかSufferingによってなのか?って。
たいていの私たちの苦しみは、Sufferingだって言ってた。
例えば私の場合だったら、
カオの皮膚が腫れていると言う状況がある。
痛みは24時間つきまとう。寝ている間もあるから、深い眠りに入りずらい。
これが痛み。
そこに、自分に対しての言葉が入るとSufferingになる。
『こんなブサイクな私。』『醜い私』『気持ち悪いカオ』
そんな自分への言葉が止まらなくなる。
そして、比べてみると、何に苦しんでいるかと言うと、この自分に対する言葉に苦しんでいる事が多い。
単純な痛みで苦しんでいるのではなく、そこにつきまとう自分への期待に苦しみが倍増するのだ。
ともすれば、この自分に対する期待が99%、自分を苦しめているかもしれない。
この自分に対する期待がくせ者だ。
この自分の期待に応えられずがっかりして、自分がダメな人間に感じてしまう。
カオが赤いながらも海沿いを歩いていた日。
全然楽しめなかった。カオが赤くてみにくいと思っているから楽しめない。
そうアンドリューに伝えた。
自分のダメ人間だという思い込みが加速中なので、
『こんな状態で人生楽しめない。生きる価値がない』とかほざいてしまう。
それぐらい苦悩に自分で追い込んでいた。
アンドリュは慰めるかわりにこんな事を言った。
『僕がさ、バーニングセンターにボランティアで働いていたの知っているよね?
重度の火傷を負ってさ、カオが火傷の子が沢山いたよね。
僕は、彼らと沢山遊ぶ時間が好きだったな〜楽しかったよ。
彼らが大いにココロから楽しんでいるのを見て、治療の時間以外にも一緒に
時間を過ごせれて最高だった。
そう考えるとさ、今の君の発言はさ、
彼らは火傷でカオが負傷した部分があるから、人生を楽しんではいけない。
彼らには生きる価値がないって言っている様なものだよね。』
ガーン。
本当だ。何を言っているんだろう、私は。
がーん、がーん、がーん。
そして、また、そうだ、と言って、痛みがある中
勝手に頭の中で『じゃあ、今この時間を楽しむ私であって欲しいんだな、アンドリューは』
とどこまでも、何かの期待に応え、誰かの期待を頭で勝手に作り上げて答えようとしている自分に
気付き、はっとして苦笑した。
単純に、自分をせめて追いつめるSufferingをストップすればいいだけの話なのに、
アンドリューがこれを言ってくれたから、こんな風に行動をしなくちゃと、期待に応えようとする
この痛々しさ。
アホか。
いつでも、自分が苦しむときは
自分に対してなのか相手に対してなのか、何かしらの目に見えない架空の期待を作って
それに答えようと必死になっているときなのだと。
期待に応える事で、人とつながってきたから、
その過去の成功をいつまでも手放せない良い子の習性。
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