Healing should not be forceful
ヒーリングのツールである、クリスタル。
でも、こんな風に使ったら、私たちは癒されるのではなく傷つくのである。
ヒーリングとは、、、強制されるものではないと言う今回お話です。
あるセッションの後
『もっと何かすごいことが起こるんだと思っていました。
いず美さんの噂は聞いていたので』
と、仰った方がいらっしゃいました。
ビックリした私。
でも、彼女の気持ちは、すごく良くわかるって思いました。
皮膚が酷かった時、いろんな事が上手くいかなかった時、
[誰かどうにかして!!!]って、私も世界中いろいろなお医者さんやヒーラーと呼ばれる人に助けを求めて飛んでいたから。
でも、どんなにすごい人でも、どんなに凄い人でも治せなかった。
私が自分と向き合って、自分という人生を生きることにコミットするまで
私は治らなかった。
誰かに治してもらおうと思う気持ちがあるときは、治らなかった。
もちろん、
プラクティショナーとしては、どうにかしてあげたいと言う気持ちはあります。
エゴの面で言ったら
『私がなんとかしてあげる!』なんて事も言いたくなっちゃうかもしれません。
でも、私の中にモットーがあります。
ヒーリングを無理やり起こしてはならない。
その人のペースがあり、その人が中心となってヒーリングは起こるべき、、、
と、私は信じています。
私の大好きな本間先生が
『ズーミー、新幹線に乗るように早く癒されたいと思うこともあるだろうけど
鈍行列車に乗って、じっくり治すことも悪くないよ。』
といった事がありました。
その時は、この私の身体中の痛みが分からないからそう言うのだろうと思って
フラストレーションを抱えながら聞いていました。
でも、今振り返って見て私は、なるほどって思います。
それはこんな経験があったからでした。
私が初めてマチルダに会った初めてのインテグレイティッドヒーリングの講習会を受けた時、私は緑色のキャップをかぶっていました。
その当時の私は、
顔を隠し、人と目を合わせることへの恐怖に怯えて、毎日を過ごしていました。
帽子をかぶることで、皮膚の状態を隠すことと、人目を避けることをしていました。
外から見たら、「その帽子があなたの視野を狭くしているのよ」
と思ったことでしょう。
外から見たら、「そのキャップさえ取れば、あなたの人生は大きく変わるわ」
と思ったことでしょう。
外から見たら、「Izumiが変わるためにはなんとか目を覚まさせてあげたい!」
と思ったことでしょう。
その講習会の途中で、私がトイレで手を洗っているときに、コースの参加者の一人が、
『私があなたの人生を変えてあげるヒントをあげるわ。帽子を脱いで見たら?』
と言いました。
私にとって隠れ家である帽子を取ることは、とても恐怖でしかなかったです。
たかが、帽子、でも、私にとっては命綱でした。
そして、『あなたが言いたいことは、わかるけど、私は脱がない』と伝えると
その参加者の女性は、私の帽子に手をのばし無理矢理、帽子を取ろうとしました。
そして『ほら、視界が明るくなったでしょ?この明るい世界で生きていきなさい!』
と言わんばかりに。
急に入ってきた私の顔を照らす光に私は怯えて、
私は『やめて!!!』と叫んで両手で帽子を引っ張りました。
こんなお岩さんみたいな顔をさらして生きるなんて!!!
そう私の中で羞恥心が一杯になり、彼女に対して憤りを感じました。
誰か直して!って思っているはずなのに、
この無理やり帽子を引っ張ると言う行為に憤りを感じた私。
誰かが無理やり直そうと思っても、それがたとえ素晴らしいことであっても
本人が準備が出来ていなかったら
元に戻ってしまうと言うことが起きるのです。
それも、もっと強い力で元に戻ってしまう。
私が自分の帽子を強く引っ張って前よりももっと深く被ったように。
その女性の、どうにかしてあげたいと言う気持ちは
完全に私の心を閉ざす結果となりました。
あんなに誰かどうにかしてって思っていたのに
無理やり、対処をされるとこんな風に反発って起きるものなんだなあと
今でも思い出します。
さて、話はもとい、
もしも私が他人様の人生を変えることができるのであれば、
きっとその人は一生、人に頼って、生きていくことになります。
その人のセッションがないと、その人の治療がないと私は生きていけないと言う思い込みに入ります。
嫌なことがありました。
どうにかしてください。
って。
自分が変わらず
誰かに変わってもらうこと、
もしくは
誰かに変えてもらうこと
は、とても楽チンです。
でも、それはたぶん「ヒーリング」って呼ばないんだと思います。
それは、他力本願、他人依存、責任転嫁、
総称して「自分の人生を生きることの放棄」と呼ぶのだと思います。
私がマチルダに初めて会った時、私は彼女に治してもらう事に必死でした。
誰かどうにかしてっていう気持ちで一杯でした。
「Needyね」と、私のことを見ていた人もいると思います。
あの時の私は、それしか方法がなかったから。
でも、マチルダは私を治すことはしませんでした。
ただ、私に選択肢を与えました。
『治りたいなら、治したいと言う姿勢を見せなさい。
あなたにはその強さがあると言うことを私は知っているわ。
その強さを出しなさい。』
彼女は私に会うたびに、『あなたには強さがある』と言い続け、信じ続けました。
インテグレイティッドヒーリングを通じて
少しずつ、私のペースで私は自分を痛めつけている考えの鎧を外して行きました。
その鈍行列車並みに、トロトロと、でも着実に前に。
どん底で、もうひざまづいて、うずくまっていた自分が
ゆっくりと自分の足で立ち上がることをして、自分のペースでして歩き始めました。
私の皮膚が発症してから16年間本当にしんどかった。
なぜ16年間かと言うと、ようやく最終的に100%自分が愛を受け取ってもいい存在であると受け入れる事ができたのは、恥ずかしながら、去年の流産した時だったからです。
自分に愛から離れると、こんなにも身体中が痛いのかと感じたあの日。
赤ちゃんが自分の命を使ってまで教えてくれた
『自分を愛して、その愛にいることに自分に許して楽しんで』と言うメッセージ。
自分自身を愛することができるまで、
こんなにも心も体も痛いものなのかと気づいたあの日。
そして、自分を愛することを腹に決めたら、
一瞬にして全身の痛みがなくなったあの流産の日。
そこに到るまで16年間。
長かっただろうか??
長かったです。
たくさん、悩んで地団駄踏んで、ハンカチの端をクゥ〜って噛みました。
でも、私の魂は、自分を愛すると言うところにたどり着くまでに、
16年間の年月を必要としたんだと思います。
sd必要な時間でした。
一瞬にして治っていたら、鈍行列車で見た今までの魂の成長の体験は味わえなかった。
自分の至らなさ、未熟さ、無知さ、利己的さ、
人の優しさ、暖かさ、サポート、
そこにまつわる学び、成長、感覚、
自分と向き合うこと、愛すること、大切に思う気持ち、
苦しみの上にやっぱりここじゃないもっと愛のある方向を目指そうと決断した自分、
これらのプロセスがすべて今の私に至るまで必要でした。
だから、今、地に足が付いている感覚もわかる。
『もっと何かすごいことが起こるんだと思っていました。
いず美さんの噂は聞いていたので』
冒頭に書いた、そういった彼女のおかげで、私は自分を振り返り
再度、
私が凄いことを起こすことはできないと言うことを理解しました。
それと同時に、私は、その一人一人のペースを尊重して付き合って(IHを通じて)
サポートしていきたいのだと納得しました。
ただ、インテグレイティッドヒーリングのセッションをしていると
クライアントさんが転機の時に、そう言う凄い変化に遭遇することはあります。
私は、その変化の遭遇に恵まれている方だとも思います。
でも、それは私が引き起こしているのではなく、
クライアントさんが準備が出来て起こっていることです。
みんな、それぞれのペースで自分の軸を取り戻して生きている。
それを取り戻すのにインテグレイティッドヒーリングは素晴らしく貢献すると
私は身をもって感じ、身をもって信じています。
私は、マチルダが私を強い人間だと信じてくれたように、
私自身も、私が出会うクライアントさんは、みんな、
愛の人であり、愛を感じる人たちであり、愛をシェアしていく素敵な人なのだと信じています。
だから、たくさん心を痛めて悩むし、体を痛めて悩みます。
でも、きっと愛の軸にその人のペースで気づくために必要なプロセスなのだと思います。
その愛の軸に戻るために、それぞれのペースで進んでいることを尊重し、
私の最大限でサポートをしたいと思っています。
マチルダが言う、
healing should not be forceful
ヒーリングは無理やり起こすものではない。
ヒーリングは、その人のペースで起こしていく権利があるのだから。
そして、その権利を得て、前に進んでいくと、
その人は自分の力を取り戻して自分の力で生きてく自信となるのだと思います。
それはかけがえのない財産です。
11月にマチルダを呼んでサンディエゴで行うインテグレイティッドヒーリングの講習会は、その財産を手に入れてもらうために開催をしています。
残席7名です。
自分の力を取り戻し、自分の力で生きていくツールを手に入れる講習会をぜひ。
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