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オムツタイム

親になって2日目の夜。

私もアンドリューも赤ちゃんの音に敏感になっていて、

少しでも赤ちゃんが寝言などの音を出すと

2人で飛び上がって、同時に2人で赤ちゃんのカオを覗き込みました。

単に、音を発している時もあれば、おっぱいを欲している時もある。

そして、おむつを替える事が分かったとき、

アンドリューが『僕がおむつを替えようか?』と言いました。

『いいよ、私、出来るよ』

そう言いたくなる'いつも'の口癖

それが出来ないバラバラの私の体。

あ、立ち上がれないやと思った瞬間に、少し私は悪いねえ〜と言う気持ちで

『うん、お願いして良い?』

と言いました。

今考えてみると、

どうして悪いなあと思ったんだろう。

どうして全部を自分でやろうとしているんだろう。

一緒に育てたいというパートナーがいるのに、

全部を1人で覆う私の習慣に1人で暗闇の中、苦笑しました。

私が、「お願い」と言うと彼は飛び起きて、娘の名前を歌いながら抱きかかえて

2人で組み立てたおむつ台へと彼女を連れて行きました。

彼女のおむつを替えている間、ずっとご機嫌に歌いながら話しかけている彼。

そんな夜中3時。

このオムツタイムはわたしにとって一つの楽しみでもありました。

と言うのも

ベイビーシャワーの中の一つで、

ゲストの人におむつにメッセージを書いてもらっていました。

「夜中のオムツ替えって孤独で泣きたくなるから、

 おむつにメッセージがあるとね、元気が湧いて来るよ」

そう教えてくれたお友達のアイディア。

でも、私達の経験は違った。

一つ一つのオムツのメッセージを読みながら、誰が何を書いたかで

2人で笑って、赤ちゃんのオムツを交換するアンドリューを見るのは私にとっては

幸せな思い出の瞬間です。

オムツを替えたすぐ後に、赤ちゃんが「ぶうううう」っとうんこをすると、

アンドリューは『What is that ?!』と言いながらも、また、ご機嫌に彼女をおむつ台に連れて行きました。

その時に出て来たオムツのメッセージが

『Oh, Crap!(おーいー!!!うんこ!!やっちまったぜ) 』と書いてあって2人で笑いながら過ごした夜もありました。

アンドリューのそういう明るい態度が、

満身創痍のカラダで、心が追いついていかない私には、とても助かりました。

優しい人は、その人の心に寄り添って。。。。なんてよく言うけど。

暗い人と一緒にいて、一緒に暗い気持ちになってあげる。

でも、それって引きずり込まれているだけで、優しさでもなんでもない。

逆に無理やり暗い相手を明るくしようとする人もいる。昔の俺。

それも優しさのように見えて、寄り添っていない感じもする。

その代わり、

相手が暗かろうと、落ち込んでいようと、

自分はずっといつものままでいて、いつもの調子でいつもの感じで

それでも、相手がどんな状態であっても良いよ。

いろんな感情を感じたら良いよ。

そういう優しさを私はアンドリューからすごく学んでいる気がする。

相手のエネルギーに巻き込まれず、

それでいて相手のエネルギーのままでオッケーだよということって

優しさだなあと。

カラダが上手く動かないと、心がどうしても落ちがちになる。

また

ふわっと、わき上がって来る大きな不安に包まれる瞬間が多々あった私は、

よく毎日、泣いていました。

私がこんなhelplessな子を育てていけるのか?という不安。

目に見えぬ大きく感じる責任。

その不安に押しつぶされそうなほどの、自分で勝手に創り上げた責任感。

もう後戻りは出来ない。

そんな感覚と葛藤しながら、夜中のこのオムツ替えの時間は

私にとってホッと出来る瞬間でもありました。

それでも、その不安はドンドンと大きく膨れ上がっていって

5日めの晩。

私は疲れ果てて、

「1人にして欲しい」とアンドリューにお願いをしてお風呂に入りました。

久しぶりにお湯に入った瞬間に何かがボロボロと溶けていくかの様に感じ

私は、ワンワンと泣きました。

その私の声を聞いて、

赤ちゃんを抱っこしていたアンドリューがお風呂場に入って来ました。

『どうしたの?』

とも

『元気出して』

とも

『大丈夫だよ』

とも言う事なく

赤ちゃんの名前を陽気に呼びながら、歌いながら、踊りながら

彼はお風呂に入っている私を見ていました。

これもしなくちゃ、

あれもしなくちゃ、

これは大丈夫?

アレは大丈夫?

私は大丈夫?やっていける??

そうやって追われている私の頭は一旦停止し、

こんなにも赤ちゃんがいる事を喜んで「楽しいね」としているアンドリューの姿を見て

『ああ、そうか、そうじゃんね』と、今度は違う涙がホロホロとこぼれ落ちました。

赤ちゃんは、

色んな事をしなければイケナイ存在ではなくってさ、

赤ちゃんはギフト

そう言う視点に変えてくれたアンドリューの姿に私はハッとして。

自分が疲労困憊でいっぱいいっぱいになっているとき、

自分の手元にあるものが「ギフト」だと気付けない時がある。

パートナーが自分のエガティブなエネルギーに引っ張られない事って

本当にありがたいことだ。

産後のホルモンのせいよッて言うけど、

私はホルモンこそが自分の思考を浮き彫りにさせるものだと思っている。

だから、じっくりとそれを見てみる事にしました。

『不安にならないの?私は親として充分だろうか?って、私怖くなっちゃう。』

アンドリューにそう聞くと

『僕たちは、屋根のある家に食べ物があり、お風呂があり、お洋服があり、

 この子を支えてくれるコミュニティを与えている。

 そして、彼女を一生懸命に育てようと言う意志もある。

 彼女に充分に与えているよ。』

と答えたアンドリュー

『私は充分にやっているだろうか?』

これって、赤ちゃんがいるから始まった事ではない。

私は充分に知っているか?

私は充分に稼いでいるか?

私は充分に可愛いか?

私は充分に愛される存在か?

私は充分に信頼されているか?

私は充分に。。。。。

私の中の『充分じゃない病』から世界を見るとこんなにも不安で一杯になるのか。

そんな風にして過ぎていった1週間。

モノクロから虹色へ

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