愛のいろんな形
- Izumi Takiguchi
- 2019年7月25日
- 読了時間: 6分

電車の中で窓の方を向きながら
『お願いだから泣き止んで、お願い、お願い』
そう泣きわめく赤ん坊を抱っこしながら小さい声で呟く母親の背中があった。。。
そんな文章をどこかで読んだことがあった。
その時は、まさか私がそんな状態になるとは、思いもしなかった。
今回、一人での日本帰省の飛行機の中はあまりにもしんどかった。
いつもはアンドリューと交代に赤ちゃんを抱っこできるが
私一人で密室でたくさんの人がいる中での赤ちゃんのケアは想像をはるかに超えていた。
泣いて泣いて泣いて泣き続ける我が子を抱っこしながら
おっぱいをくわえさせながら後ろの通路のトイレの前でずっと
あやしていた。
赤ちゃんがようやく、うとうとすると、誰かがトイレに入りに来る。
その瞬間に目が覚めて赤ちゃんが泣き始める。
乳首の忍耐力をここまでチャレンジされたことはない。
お願い、お願い、お願いよー
お願いだから、寝てーーーー
アンドリューから
『ユニバースが君にできないことをさせると思うか?
大丈夫!』
といった時、
私は『えいえいおー!』なんて調子こいていたが、
飛行機の中で、
(あんなエセスピリチュアル文句に騙されたっつーの!)と天を仰いだ。
成田空港に到着すると、私は近隣のホテルに移動した。
ようやく赤ちゃんをハイハイさせてあげることができる。
乳首がまだ私の体に繋がっているかを確認し、
私はベッドにカラダを埋めた。
なんてことは出来るわけはなく、お風呂の準備から翌日の準備をし始めた。
大きなスーツケースはすでに空港から実家に送ったので、
手持ちは小さなこの一夜を乗り越えるだけの荷物のみ。
赤ちゃんのオムツや寝巻きを忘れずに、、、、
そう考えて荷造りをしたつもりだった。
が、お風呂から出ると、私のおパンティがない。
まじかよ。
どこを探してもない。
赤ちゃんのオムツの数が飛行機の中とホテルで十分かに気を取られて
自分のオムツなるおパンティを忘れてしまった。
そして、成田の山の中にあるホテルのフロントデスクに電話をし
『あのお、おパンティを売っている場所ありますか?』と聞いた。
『おパンティですね。少々お待ちください。』
昔、聞いたことがある。
ヤクザのトップがこけたら、組長に恥をかかせてはいけねえと、部下も全員一緒にコケるというのを。
まさしくフロントデスクの『おパンティ』という言葉を聞いた時に
私はその組長のような気分だった。
『デスクのお兄さん、おパンティと言わせてすまねえ』
ちょうどホテルの中にコンビニが入っていたので
そこまで、おパンティをそそくさと買いにいった。
もちろん、赤ちゃんを抱っこしながら。
夕飯もままならぬまま、翌日の朝、朝食バイキングに出かけた。
隣りには、年配のカップルが座っていた。
赤ちゃんは元気に床をハイハイする。
私が味噌汁を飲んでいる間に、あっという間に
赤ちゃんが隣りのカップルのところへ到達していた。
『すみません』
そう言うと、『いえ、大丈夫ですよ』と赤ちゃんに手を振ってくれた。
動きたい赤ちゃんを左手でアメフトのボールのように持ちながら、
席に戻ろうとすると、
『あの、大丈夫ですよ。もしも、お母様が嫌じゃなかったら、
私たち、赤ちゃんを見ていますので、ゆっくりご飯を召し上がってください』
そう年配の女性が言った。
その瞬間、アンドリューに空港で見送られてからの32時間、
我慢して気を張っていた私の心はガラガラと崩れ
目からボロボロと涙が出た。
『うぐぐ、、、すみません。想像以上に一人で赤ちゃんとの旅行は大変で。
今の優しい言葉で、涙が出ちゃいました。
優しくお言葉がけをしてくださって、ありがとうございます。』
と伝えた。
『うちの娘も、今、旦那さんが一日中仕事で育児ノイローゼなんですよ。
だから、自分の娘を見ているようで。。。』
と言ってくれた。
一人の人の声かけが、こんなにも心に沁みるなんて。。。
そして、ふと顔を上げると
私のテーブルの向かいに座っている老夫婦も赤ちゃんにバイバイとあやしてくれていた。
そして、その老夫婦が席を立って去る時に
男性の方が『じゃあね、またね』と赤ちゃんの頭を撫でようとしてくれた。
ありがたい、そう思った瞬間に
『お父さん、触っちゃダメよ。今はもうそう言う時代じゃないんだから』
そう奥さんに後ろから言われて手を引っ込めた。
とても切なかった。
愛を表現することに、こんな風にダメなんて言う世の中って。。。
さて、実家にようやく到着をしたら、避暑地である私の実家は、猛烈に寒かった。
母親はストーブを焚いている始末。
両親はとても赤ちゃんを可愛がってくれた。
ただ、母は膝が痛い、喉が痛い、頭が痛いと言っていた。
この寒さで風邪をひいたらしい。
今回とても興味深かったのが、父親は童心に帰ったかのように赤ちゃんと遊んでいた。
そして、
母親は、赤ちゃんに対して、大人に接するような態度だった。
つまり、赤ちゃんと遊ぶようなことは一切なかった。
私は物心がついた時から、父が大好きだった。
こんな風にかまってくれる父に赤ちゃんもゲラゲラと笑ってなついてた。
そして、『ダメよ』と連呼する母親には距離を置いていた。
その姿を見て、(そうそう、こうやって育ったんだなあ、私、、、、)と感じていた。
さて、夕ご飯が食べ終わって、父と赤ちゃんが二人で会話ならぬ会話をしながら
遊んでいるのを見ながら、私は隣りの部屋の台所へ食器を片付けに移動した。
リビングと台所の間にストーブが焚いてあった。
ストーブといっても、あの昔ながらのやかんを上におけるタイプのやつだ。
台所の流しに食器を置いた瞬間に赤ちゃんが、
私が離れているのに気づき大声で『ママ〜!』と泣いた。
その瞬間に、ものすごいスピードでハイハイをして私の方へ向かってきた。
『危ない!』
そう私がいった瞬間、
近くに立っていた母親が手に持っていた洗濯物を全てその場に落として、
赤ちゃんを背中から抱きしめて、床に座り込んだ。
ほんの数秒の出来事。
ストーブに行く直前で赤ちゃんは母によって守られた。
80歳の母。
風邪で頭が痛いとフラフラしていた母。
膝が痛くて、機敏な動きができないはずの母。
そんな私の老いたはずの母の腕の中で赤ちゃんは、元気よくママーと泣き叫んでいた。
『お母さん、ありがとう』
そう言うと、アドレナリンが出ているのか、母は『危なかったねえ』と言って
何事もなかったかのように洗濯物を別の部屋に移動しにいった。
一度母になった女性は、いつまで経っても、幾つになっても
母の要素を赤ちゃんを目の前にした瞬間に持つのかもしれない。
目に見える愛と目に見えない愛がある。
幼い頃の私は、父親の目に見える愛を体いっぱいに感じていた。
母親になった私は、母親の目に見えない愛を心いっぱいに感じた。
母は私と遊ぶことはしなかったけど
やんちゃで、調子者で、そこら中で元気に遊びまわっている私が安全に事故なく大きな怪我なく成長できたのは、彼女のこの愛のおかげかもしれない。
そう感じた。
愛って様々な形があるものだ。
それが今回の帰省の思い出の一つとなった。
モノクロから虹色へ
帰省すると、日本は思ったよりも寒かった。母親が