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Thank you to my mom 母に感謝を込めて

今日はサンクスギビング。

前回は父への感謝でした。今回は母への感謝を伝えたいと思います。





私は母との思い出がそんなに父ほどありません。


覚えているのは

建てたばかりの二階の日が差し込む部屋で

私が昼寝から目が覚めると、母が編み物をしていたこと。


バトンの大会へ行く時に真夜中、タクシーに乗って

バスケの遠征から移動したこと。


大会用の衣装を黙々と作っていたこと。


学校のガラスを野球のボールを投げて割ってしまった時

謝りに行ってたこと。


雨の日の朝、登校で、傘をいつも学校に置いてきてしまう私に

雨の中でずぶ濡れになっていきなさいと言われたこと。(近所のおばさんが見かねて貸してくれた)


そんな断片的な思い出ばかりで

ろくに会話をしたことは覚えていません。



しっかりしなさい

ちゃんとしなさい

みっともない

何やってるの

早くしなさい


そんな言葉ばかりを聞いていて、私は、業務連絡だけをする仲になっていきました。


できるだけ文句を言われないように

できるだけ小言を聞かないように

母の近くでは生きてきた気がします。


私は母に愛されているのか、よく分からずに育ちました。


大学生になり、初めての新歓コンパで

私はアパートに夜遅くの1時過ぎに帰ってきました。


留守電のボタンがチカチカする中

私はそのまま布団を敷いて寝ました。


寝ていると明け方3時にドアが開いて

母が寝ている私の顔に手を当てて、「生きてる?」と言いました。


「お母さん、なんで?」


というと

「連絡がつかないから、寝れなくて」


と言って

「生きてるなら、いいわ。お父さんが起きる時間がきちゃうから帰るね」


と滞在時間30秒で帰っていきました。

片道2時間のドライブ。

きっと家に帰った時は、朝、5時だったんだろうと。


朝になってその留守電を聞いてみると

母でした。


その時に初めて「私は母から気にかけてもらっているのかもしれない」と思いました。


私が20歳になった時、

母に大学のアパートから急に電話をしました。


「お母さん、私、お母さんのこと何も知らずに育ってきた気がする。

 ずっと業務連絡ばっかりで、お母さんがどんな人生で、どんな人なのか知らない。

 そうやって死んでいくのは、嫌だ。 

 これからお母さんのことをもっと教えてほしい。もっと普通の話がしたい」


と伝えたのを覚えています。


何が私をそうささせたのか?

でも、母は「あ、そう」と言って、電話を切りました。


そして、母の人生をいっぱい聞きました。


戦争中に骸骨を蹴りながら、帰ったこと。

初めて松坂屋でカレーを食べたこと。

疎開先のこと

B29のこと

飼ってたうさぎが家に帰ったら、夕ご飯になっていたこと


そんな昔の話から

最近始めたフラダンスや日舞まで。


そして、どうでもいいくだらない話まで。


一杯一杯聴きました。


そして、私は嫁いで、長女を授かりました。


そして、母は、アメリカまで飛んできて、孫をお風呂に入れてくれました。


赤ちゃんを持つ彼女の手、

赤ちゃんを抱く彼女の腕、

赤ちゃんに洋服を着せる彼女の手つきとその顔の角度


全てが愛おしそうに、大事そうに、大切に扱っていました。



私は、一瞬にして、この人に愛されて私は育ったのだと感じました。


彼女の赤ちゃんへの全ての振る舞いが、かつて私にされていたものだと肌の感覚で思い出しました。




父の愛は、いろんなところで感じていたのに

母の愛は、いろんなところで感じれませんでした。


でも、彼女の愛はそこにずっとあったんだなあと今は感じます。


小言も多く、指示も多く、ジャッジも多かったけど

だからと言って母は私のことを愛していないわけではなかったと。


新月のお月様のように、見えないけど、でも必ず存在していたと。


私は、母から目に見えない形での見返りを求めない愛を一心に受け、学びました。


ありがとう、お母さん。


モノクロから虹色へ












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