Thanks Giving to My Dad 『父への感謝の言葉』
今週アメリカは、サンクス・ギビング(感謝祭)なのです。
なので、それにちなんで、私もありがとうを述べてみようと思います。
まずは、父。
私は、父が大好きです。
小さい頃から大好きで尊敬していました。
私が小さい頃、よく父のスクーターに相乗りさせてもらいました。
少しだけと言って、ハンドルを持つ父の腕に囲まれて、
ビュンビュン風を感じる時間が好きでした。
大通りまで出る、たった5分のスクータータイムでしたが
私の中で、特別感を感じる時間でした。
父が畳一畳分の畑を借りたとき、彼は畑に足しげく通っていました。
ナスやきゅうり、とうもろこし、と夏の作物を作っていたのを覚えています。
ある日、大きな台風のような嵐が来て、とうもろこしやナスが薙ぎ倒されてしまった夜がありました。
翌日の夕方、父はガッカリと肩を落として
「あんなに育ったのに」と嘆いていました。
薙ぎ倒されたとうもろこしがどれだけ酷いのかを見に、私は父の畑に寄りました。
そのとき、父はとうもろこしに話しかけていました。
「頑張ったなあ。」
「ここまで元気に育ったなあ」
「昨日は嵐が来なくて、よかったなあ」
その後、斜めになっている茄子にも
「よく実ができているなあ。大きくなるのかなあ」
そんな風にずっと話しかけていました。
「お父さん」
そう声をかけると
「おお、いずみ。」と言って、野菜に話しかけるのをやめて
黙々と作業に戻っていました。
彼は、どんな姿の野菜も愛おしそうに収穫をしていました。
家には不細工な格好の野菜が並びました。
都会で育った母は、虫に食われて不恰好なお野菜を使わずに
スーパーでカッコイイ野菜を買ってくることもあるほど、
不恰好な野菜がいました。
それをそっと捨てる母と
それをそっと拾う父。
そして、「もったいねえ」と言って、お味噌をつけて食べていました。
一生懸命にその植物が作った野菜を父は、その野菜が素晴らしいと思って収穫していた気がします。
Uの字に曲がったインゲンも
草ボーボーに育ったセロリも
二股のナスも
ぶん殴られた顔のような玉ねぎも
大きくなりすぎたきゅうりも
乾燥させすぎた干し芋も
大切に食べていました。
私が小学生の時、市の陸上記録会で学校の代表として選ばれました。
800M走で、私は転んで2位になりました。
そんな私に
「一生懸命にお前がやって、できた結果だ。それで良いじゃないか。」
そう言いました。
中学生の3年で
初潮がきて、体がどんどん太り出し、走るのも重くなってきた私は
陸上記録会で、今度はビリから2位になりました。
その時も父は
「一生懸命にお前がやって、できた結果だ。それで良いじゃないか。」
その言葉は、どんな野菜ができたって
その植物は一生懸命に作った成果だ。それで十分ではないか。という父の姿勢と同じでした。
だから、もっとこうした方がいいと言った父の記憶は、私にはありません。
錆びついた鉄パイプのような髪の色をした私を、たしなめたことはなく
「いずみ」という人間をいつも見てくれていました。
アンドリューという名前の男性と結婚をしたいと言った時、
父は、「え?安藤龍さん?」と言いました。
外国の人と結婚をするとは思っていなかったようです。
でも、その私の選択も「お前が決めたんだから」と何も言われませんでした。
私が日本の神社で結婚式を挙げたとき、普通にいつも通り、
私が知っている父として列席していました。
でも、アメリカに帰る日の朝、
私は父にハグをして、耳元で「今までありがとう、おとうさん」と言いました。
スクーターに乗っていた時の大きかった父の腕が
今度は私の腕に変わったように、私の腕の中の父は年老いて小さくなっていました。
すると、父は私の耳元で
「もう、いけ。泣いちゃうから」とカサカサ声で言いました。
これが私の最初で最後の父からの命令的な言葉だと思います。
あ、間違えた。もう一つありました。
結婚して、ある日「お父さん、これ、どうしたらいいと思う?」
と生き字引のなんでも知っている父に質問したことがありました。
父はすぐに言いました。
「アンドリューさんに聞きなさい。」
「え?」という顔をすると
「これからは、アンドリューさんと一緒に色々と決めていきなさい」
と言いました。
父に親離れ・子離れをする姿をクリアに見せてもらいました。
こんな父の姿は、現在の私の子育てにとても影響を与えていると感じています。
話しかけ、それでいて余計な手は加えず
植物にしても人間にしても、そのものが持つ本来の力を信じて待ち、
そこで出来上がったものがどんな形であれ、感謝し、愛し、それでよかったと伝え
手放すときには、ちゃんと愛を持て見送る潔さがある。
そんな父の娘で私は感謝でいっぱいです。
彼の生き方が私の生き方に大きく影響をしていると
子供と関われば関わるほど、感じます。
私は、彼に一人の人間としてずっと尊重されてきたと。
お父さん、ありがとう。
モノクロから虹色へ
Comments