Untouched Wounds
(*顔にパックをしながら寝る前の本読み時間です)
私が幼いとき、父親が言いました。
『怒るというのは自分を見失うことだ。
だから怒るというのは何の得策にもならない』
そう言って、事件を処理する父はいつも冷静でカッコよくて
私もそうなりたいと思っていました。
だから、私の中で怒ることって
ダサいことだって思っていましいた。
電車の中でイライラして携帯を連打している人
声の口調がきつい女上司
嫌みったらしくクドクド話すレストランのマネージャー
美しくないって思っていた人たち。
嫌だなあって思っていた人たち。
ところがどっこい、
そのしわ寄せは大きく自分に降りかかりました。
私自身が怒るべきときに怒れず
皮膚に炎症となって出てきました。
それが2006年のことです。
そして、アンドリューに出会ってその話をしました。
『イライラしている人ってダサいって思っていたし、
自分がイライラすることもダサいって思う。
でも、あなたの周りは
”よく怒りをあらわにできた!”と賞賛する人が多い。
それはなぜ?』
そしたら、アンドリューが言ったんです。
「怒りが出てくるというのは、そこに
untouched wounds (まだ触れてもらっていない傷)があるということだ。
そこをタッチしてあげるのは
とても勇気がいることだ。
それを賞賛したくなるのは自然なことさ」
と。
それを言われて、
ああ、そういえば、と思い出した一つのシーン。
それが
私の初めてのIH 講習会での失態。
魂の統合のセッションで
『君の怒りをあらわにしてもいいんだよ』
というのが出てきたときに
私は心の奥底から悲痛な叫びをあげて泣きました。
喉がすり切れるかと思うぐらい。
その時までみないようにしていた怒りが許可をもらって
溢れ出てきたかの様に。
その闇の自分を認めて初めて私は
アリのままの自分を全て愛そうと思える様に覚悟が決まったのだと思います。
「自分の醜態も全て私」
と愛することを決めたんですよね。
だから何が出てきても
全てはuntouched wounds だと。
自分の中にもう忘れようと思って忘れたこと。
もう見ないようにしようと思って、葬ったこと。
自分でも大したことがないって判断してたこと。
それらが、なぜか誰かのある行為でイライラとして浮上してくることがある。
それを抑えるのではなく、 よく出てきた!とcelebrateする。
Can you celebrate?
(*安室ちゃん、元気かなあ。)
いやいや、安室ちゃんについてではなくて、
そんな未だに癒えてない傷を優しく癒して
新しい自分へと転換する
感情のどんでん返しクラスである
インテグレイティッド・ヒーリングの講習会を12月にします。
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自分のuntouched wounds があることで
イライラしたり
キリキリしたり
ツンツンしたり
トゲトゲしたり
しているのかもね。
それが穏やかになったら、どんな自分が待っているだろうか?と。
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