ぶりっ子だと思う女性に対して
山田邦子さんが全盛期だったとき、
ひょうきん族という番組で、
ぶりぶりぶりっ子とバスガイドの真似をしていた。
それをみて多くの人が笑っていた。
面白いという中に、嘲笑う感覚も子供ながらに感じながら見ていた。
ぶりっ子って馬鹿にされる
恥ずかしい行動だとカテゴライズしたのだと思う。
中学では、バレエを習っている子やなんとなく育ちの良さが漂う子がいた。
思春期の頃
そういう女の子は、ぶりっ子の類として、笑っていた気がする。
もっとワイルドに、もっと大胆に、もっと男子と競い合うぐらい強く。
そんなふうに思ったわけではないが
世の中の風潮に流されていた気もしないでもない。
だっだーん、ボヨヨンボヨヨン
というCMもあった。
おっぱいの大きい外人の女性が、シュワルツネッガーのようにボディビルをしてたイメージ。
女らしい体でも逞しく強く負けない。
美しいくてセクシーでも、かっこいい安室ちゃんも流行った。
可愛くて、繊細で、お人好しな女性は、市民権を失うかの如く
美してく、強くて、豪快な女性が好まれるような気がした。
そして、
そんな風潮に右ならえをして、私は、ダンスサークルの部長を務め、大勢を引き連れ、先人を切って背中を見せた(気になっていた)
弱くて、使い物にならない女になんか私はならない。
そうやって、必死で自転車をマッハで漕いで、
パチンコ屋のバイトから電車に飛び乗って東京へダンスのレッスンに通った日々があった。
「お前の背中、俺よりも広いな」
そう背中を叩かれながら私に言ったパチンコ屋の上司。
彼を馬鹿だと思った。
華奢な女が好きな馬鹿な男。
そう考えないと、自尊心が潰れそうな気がするから。
華奢でもろくて、支えてもらえないと生きれない、そんな女なんて
山田邦子の時に、とっくに捨てた。
ぶりっ子は恥ずかしい部類だから。
そんな私も、男性の恋をした。
女になることに慣れていない私が、自分の殻を破って、心を開けて話した。
そして、大失恋という玉砕で終わった。
今考えると、失恋するのはわかる。
容姿でも、背中のデカさでもない。
この、ぶりっ子は恥ずかしい部類という考えが
私の女性的な部分を破壊したのだと思う。
ぶりっ子を、感情を正直にシェアする女性としてみたのではなく、
ぶりっ子を、女性を武器にして男を手玉に取る悪女としてみたのがそもそもの始まりだった。
世の中は、高度経済成長真っ只中で
誰もにdoing を求められた。
いや、戦時中からdoing は求められていて、
そこのdoing が報われてFeeling が満たされるという世の中になってきた。
3高といって、
背が高い
学歴が高い
給料が高い
と、全てdoing で人は測られる事となった。
そう男性にジャッジを下していた女性はブーメランのように
自分もそれでジャッジをされることになるとは、知らず。
私がもしもタイムマシンがあって過去に戻れるなら
山田邦子のバスガイドを見ていたあの少女の私に伝えたい。
「このお姉さんは、自分の気持ちを正直に話せれて、とっても勇気があるね」と。
そしたら、きっと、
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違っていたのかも。
感情を話すよりも、感情を離すことを学んでしまったが故に、
色んなところに歪みが生じ、それをなんとかdoing で補おうとすることが多いから。
お金、ギフト、旅行、食べ物、お酒などで、補っても、
心の中が空っぽな感じは
女性にとって耐えられない。
でも、
そこからの脱出方法を知らないで、一生懸命Doing ばかり
そうやって、一人でどうにか解決しようとしてきた私ではなかったかもね。
ま、それがあったから今の旦那さんに出会い、学びながら、前に進んでいるというのもあるけど。
そんなことをこの動画を見返して思い出したのです。
私のように感じる女性へ、届けーと願っています。
モノクロから虹色へ
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