カルトにハマった母親を持つ息子
先日のこと。
ある1人の社会的に成功している男性が、85歳になる母親のことでワークをしたいという。
この年末、家族で会う機会があったと。
彼は、冗談を言うような顔で話し始めた。
「僕の母親は、家族よりもカルトにハマった彼女だったんだ。
彼女の入ったカルトは、家族と会ってはいけない。
なぜなら、家族と会うと、そこの家族間にあるネガティブなエネルギーと縁を断ち切って
美しい世界へといくことができないからだと。
だから、僕は、母親に、どうして僕たちよりもカルトなんだ?!と
何度言っても、彼女はずっと私たちが一緒にいることは、この世で一番不幸なのだと言ったんだ。」
変な話だろ?という表情で話す彼。
そんな彼は続けていった。
「これについては、この何年もずっとセラピーに通ってきたし、いろんなヒーリングもしてきたんだけど、
このクリスマスに突如、母親が会うって言い出して、
会った後、彼女が言ったんだ。
教祖様のところに戻るから、あなたとはこれが最後になるって。
なんだよ、それって、思って。」
その後彼は頭を抱えて地面を向いて黙った。
少し時間が経って、彼が声を振り絞りながら言った。
「この65年間、俺はずっと彼女から愛されずに育ったんだ。」
すると、そこにいた友人が
「そうね。
絶対的なる真理に反しているって感じるでしょ。
母親は子供を最優先なはずだ。
母親はいつも子供のそばにいるはずだ。
母親はいつでも子供の味方だ。
母親から愛されないなんてことはあってはならない。
母親は子供を愛してやまない。
それらの普遍的であるべき真理に反しているから、心が裂かれるほど辛いわよね。
あなたは辛いと感じる権利があるわ」
と言った。
彼は初めてそこに同意をしてもらった感じで、頷きながら涙をこぼしていた。
そこにある不条理だと感じてる感情をまずは十分に感じることで彼は安心をし始めて
少しずつまた話し始めた。
「実は、僕が10歳から13歳の3年間はすごく良かったんだ。
僕のゴールデンタイムだった。
母親に彼氏ができたんだ。とってもいい男性で、母親を愛した。
愛されている母親は、本当に輝いていて、美しくて優しくてさ。
でもその彼と別れた後、彼女はまた宗教に戻ったんだ。」
笑顔で話していた彼。
本当にその時代は心が満たされるような夢のような親子関係だったのだろう。
そして、彼は、真顔で言った。
「彼女は、男性からの愛によって、自分が愛される存在かを確認する人だったんだ。
男性からの愛があれば、自分は素晴らしい存在だと思うかのようだった。
でも、それが急になくなると、カルトに戻る。」
そして振り絞るような声で言った。
「I wish She knows how to love herself. 彼女が自分を愛することさえしてくれれば。」
そこから彼のワークはどんどんと進んでいったが
私は、その彼の言葉が心にすごく残った。
「自分を愛することさえ出来れば、、、、、」
私はいつも思っている。
「私たちが取るべき唯一の責任は、自分を幸せにすることだ」と。
またそこの私の指針に、彼の言葉が同意をくれた感じだった。
自分を愛することさえ出来れば、息子は幸せだった。
母が叱ろうが、
母の料理が不味かろうが
母の言ってることがうるさかろうが
母が「自分」を愛することさえ出来れば、息子は幸せだったんだ。
そして、「そんな母親に虐げられた自分」と言うシナリオから
「その母親を持っても、自分は自分の人生を喜びと共に繰り広げる」
と言う方向へワークは進んでいった。
自分に尊厳を持ち
自分に許しを与え
自分に感謝し
自分という存在をフルに感じること
自分を愛するということ。
ふと思い出した別の友人との会話。
「私の知り合いでね、
彼氏ができると落ち着くんだけど、
彼氏と別れると途端に天の声が聞こえるって言い始めちゃう子がいるんだよね」
人間は母親を絶対的な存在だと自動的にどこかで信じているのかもしれない。
その絶対的な存在から愛されない事実(ただの1人の人間が愛するキャパシティがなかっただけなのに)を
突きつけられると、自分は絶対的に愛されない存在に感じてしまう。
本当はそんなことは絶対にないのに。
あなたという存在が生まれてきたことがこの世にとってのギフト。
どうだったら、その感覚が当たり前になるんだろう?
どうだっったら、その感覚が社会全体の無意識の中に入り込むのだろう。
そんなことを思ってたところにさとこちゃんからYouTubeの最新版のお知らせが。
千原ジュニアさんが女性の生理痛について体験をしたというところから
社会がどう変わったらいいんだろう?っていうお話をしてる内容です。
みなさんはどう思いますぅ〜?
モノクロから虹色へ
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