ナルシストの母親を持つ息子
ファーザーロス
初めて聞いた言葉だった。
父がいない人
父がいても何のサポートももらえなかった過去を持つ人
いろんな方が集まったワークショップ。
その中のある男性が大きな声で怒鳴った。
「もうこの母親をどうにかしてくれよ!!!!」
彼は、14歳の時には、生きる気を失ったという。
13歳ぐらいまでは、母親の言いなりだった。
でも、母親といると自分の血を吸われていくような感覚になった。
自分の人生の色んな事に顔を突っ込み、色々と聞いてくる。
一人目の旦那は、彼女を捨てた。
でも、彼女は、「私を捨てたのじゃなくて、あなた(息子であるかれ)を捨てたのよ」
と言ったという。
そして再婚した旦那もまた、
医者としての仕事が生きがいだったから、
母親のことは、なにも関心を示さなかった。
お金を持ってくることだけが、家族に対する責任であり
息子の様子を伺う
とか
息子と話をする
とかは
父親の役割の一つではないと思っていたという。
自分の人生で男性に無視をされてきた母親。
この母親もまた、父親に愛されなかった過去を持つ。
「母親に息子ができると、旦那とうまく行かない場合、
息子をまるで自分の恋人のように扱い
自分が実際にパートナーから満たされなかった愛情を息子から
無意識のうちにもらおうとする」
と、ドクターパッドが言ってたのを思い出す。
無意識のうちに自分の分身である(あったはずの)息子から愛をもらおうと
まとわりつく。
それは、過保護であり、過干渉であり、また、過指示である。
そして、正常な息子もまた母親を遠ざけようとすると
最後の砦を失った母親は、
「私の身を削ってまでもあなたからの愛情をもらうことがそんなにできないのか。
いや、お前は私に恩義がある」
とばかりに、激しく罵り、自分の哀れさをひどく嘆き、そして犠牲者の果てまでいく。
そんな彼女を彼はナルシストと呼んだ。
夜中に自分のベッドルームに来て、隣りに寝ようとした母親を包丁で刺して
自分も死のうかと思った14歳の彼。
その彼が何を欲していたのか。
それは父親からのサポートだった。
母親への怒りはなかった。
「もう病気だから」と彼は言った。
でも、
学校でも友達がいない。
家に帰ればナルシストの母親がいる。
どこにも自分の場所はない。
唯一この状況をわかってくれるのは、父親だけのはずなのに。
父親は、自分の得意である医者という立場から
「なにが問題だ?ではこの薬を飲んでおけ」
という会話しか成り立たなかった。
父親が不在している。
家にはそれなりのお金が入ってきた。
でも、家には父親は不在している。
守ってくれよ、お父さん。
助けてくれよ、お父さん。
僕を見てくれよ、お父さん。
なにやってるんだよ、お父さん。
そう58歳になった現在の彼は床にたくさんの鼻水と涙を垂らして泣いた。
そんな彼を私は勇敢だと思った。
きっと若い頃の私であれば、こういう男性を支えたいと思ったと思う。
でも、今はこう信じている。
きっと彼は、自分でこの痛みも勲章にしていける力があるだろうと。
なぜならば、停滞して手付かずでいた感情を自分で所有できた時、
初めて、物事は前に進んでいくから。
その逆で、停滞して手付かずの感情は、全ての流れを遅くさせる。
まるで、沼にハマった車のように。
そして、ゆっくりと確実にその沼に溺れた人生になっていく。
自分の中に残ってる感情を自分のものとして所有することはなんてパワフルなことなんだろう。
ただ、少しだけ心配も残った。
感情を出したあと、彼はどこに向かうのだろう。
感情が出ていったそこのスペースに空虚感が残らないだろうか?
父親を見切った後の彼は、どうなるのだろう。
清々しく思う人もいれば
寒々しく感じる人もいる。
だから、感情のワークだけでは、危険なのではないかというのも過去に参加してワークショップで何度も見てきたし、私も経験してきた。
感情を手放してみたけど、じゃ、私って何なの?と。
そして、2010年に
私はインテグレイティッド・ヒーリング(IH)を通じて、感情をワークしてきた。
それと同時に、その感情が解消されたスペースに
愛と、行き先をもらった。
つまり
そして、着実に私は自分の過去をギフトに変えれたと。
トニーロビンズが行った。
「自分の人生に何かが起きた時、その人のそれ行こうの人生を左右するのは、
その出来事が自分に対して起きたことなのか
自分のために起きたことなのか
の捉え方である」
と。
自分のために起きたことに変換してくれるインテグレイティッド・ヒーリングのワーク。
今年11月から、IHオンライン・リトリートを始めようと思って
動いています。
少人数で密にやるための限定人数を設けての開催。
また詳細が出たら、シェアしたく思います。
モノクロから虹色へ
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