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夫婦で2泊3日デート

アンドリューが企画して私たちはこの週末、一緒に2人だけで過ごすことになった。


2人だけって言うのが、ありそうで、ない。


あるんだけど、こんなに長い時間、2人だけで過ごすのは6年ぶりで

忘れてしまった感が強い。


金曜日から日曜日の私たちだけの時間に少し戸惑っている私もいた。


何に戸惑ってるのかといえば、「女の私はどこ?」に戸惑っているのだ。キョロキョロ




女の私を久しく見ていない。遠い目



好きな人を目の前にして、うっとりする自分は海の奥底に沈んでいって、

その姿形も思い出せないぐらいだった。


というか、先週のキャンプ場でのこと。


テントを貼って、寝ている子供たちとゴッドファーザーを置いて

私はキャンプ場に来てたサンタアナのコンサートにふらりと出かけた。


独り身で、ふらりと夏の蒸し暑い夜に、行った時

初めは遠目からその野外コンサートを見ていた。


でも、まったりした夏の夜にぴったりの音が生で聞こえてる環境に

これは踊らずにはいられないと、私はみんなが集まっている場所で目を閉じて

体を動かし始めた。


1人で自分の体を自由に動かせること。

ママーと言う声が何も聞こえないこと。


そして、

夜、歯を磨いたり、髪の毛をとかす必要もなく、寝る時間に追われることもなく


ただただ、音楽に身を委ねてたら、涙がボロボロボロボロ出てきた。


私、こう言うの、大好きだったなあ。って。


海底に沈んでいた「私」がボウフラのように浮上してきた感じだった。


つまりですよ、


先週「私」が少し浮上してきたのをチラ見したぐらいで、泣いてるのに

今週は「女の私」を海底から見つけ出すのか、、、、と思うと、なんだか戸惑っていたのである。


でも、アンドリューはかなり前からこの週末の計画をしていて

全てをサプライズにしたい感じから、彼の意気込みは肌で感じる。


私も、そこに見合いたいのだが、何せ女の私が海底で、タイタニックの下敷きですか?って言うぐらい出てこない。


つまり、どう言う現実かというと、アンドリューの意気込みに応えるぐらいの

ワクワク感もドキドキ感も楽しみ感も、「無」なのだ。


こういうと、ここの夫婦、やばいのか?と思うかもしれないが、

私たちは、毎晩夕飯後に2人の時間を作っている。

そしてたわいもない話から、子供のことまで会話をしてる。


2人で日中子供を学校に送ってから手を繋いでハイキングにも行くし、一緒にランチを食べに行くこともある。


ただ、子供がいない私たちの

2泊3日デートするという自分が、とにかく変な感じがするのだ。


少なくとも私のサイキには、子供が色濃く刷り込まれている。



夜も寝ているようで寝ていない。


少しでも子供が動いたり、声を出したら、私は目が覚めて無事を確認する。


一晩に上の子と下の子が別タイムでおトイレに行くこともある。


手を繋いで夜中の私のタイミンングではないトイレに付き合う。


そして、朝、目が覚めたらぎゅうぎゅうに挟まれてサンドイッチ状態になって起きる。


昔、寝ている時は「自分のオーラの浄化時間です」と、スピリチュアル系の人が言っていたのを聞いたが

私のオーラはもう、6年間、子供のオーラと混在の混色をしているため


私のオーラ?なんですか?浄化ってなんですか?


という感じである。



とにかく、なんかよくわからず戸惑っている。


なので、出かける直前まで私は仕事をし、そして、それが片付いたら

今度は、1000ピースのパズルを始めてしまうほど、

ドギマギしている自分を落ち着かせようとしていた。



さて、結果、どうだったかというと、すごく良い時間になった。


自分1人で、どうにかしようと思っていたところだったが、

アンドリューのおかげで私は「私」を思い出し、海底に沈んでいた「女」の私も一緒になって浮上してきた。


初めの3時間ぐらいは、ずっと子供についての話をしていた私たち。


車を走らせながら、音楽をかけようってなった時、

私たちがよく聴いていた音楽が流れ始めた。



もうその瞬間に、私たちの中が一気に昔に戻った。


マイ・リトル・ポニーの曲でもない

パウ・パトロールの曲でもない音楽が車から流れるなんて!!


結婚式に流した曲が流れた時、私たちは大声を上げながら手を窓から出して歌い叫んでいた。


夕ご飯を食べにドレスに着替えた時も、

あああー洋服が引っ張られておっぱいがポロリしたり、破れることを考えずに洋服が着れるなんて!!!とちょっと驚いた。


歩いてる時にも、飛び出さないか周りの車がどういう運転をしてくるのかを気にしなくてもいい。


ご飯を食べるときは、いつ卓上の塩やコップが落ちるかを気にしなくてもいい。


プラスチックのコップが嫌だから、水筒を自分で持っていく必要もない。


子供たちが食べれるご飯がメニューにあるかを気にしてレストランを決めなくてもいい。


早く帰らないと眠すぎて機嫌悪く泣き始めるかもしれないと時間を気にしなくてもいい。


たった少しの時間でも解放されることの多さに驚いていた。


そして、こんなにもずっと常に子供のことに集中していたのかと、至る所で感じ始めていた。


(*疲れ切った無表情の俺↓







円グラフがあったら、「母親」が99.5%だったんだと思う。


0.5%は何だろう? その0.5%は多分「その他」という得体の知れない自分な気がする。


これが嫌なわけではない。


その99.5%に、私は多大なる恩恵を受け取っている。

言葉にし難い本当に驚くべき愛の感覚はこの2人がいなければ、私は感じることができなかっただろう。



じゃあ、なぜこれを書いてるのか?という理由は、


こんなにも旦那さんとキャッチボールする余白がないことに驚いたからだった。



アンドリューは、すぐに物をどこに置いたかを忘れる。



鍵は、どこだ?

クレジットカードをどこに置いたか忘れた。


と言ってたら、ポケットから落ちて

車の座席にあることがしょっちゅうある。



子供が生まれる前の私は


「あ、ここにあったよ。」


とサポートするかあ、


「一緒に探そか」


と言ってた。


時間にもエネルギーにもマインドに余白があったから。


ところがどっこい

今の99.5%ぎゅうぎゅうな私は


「鍵ぐらい、もうパンツにつけとけ!」


「自分で見つけて。わしは知らん」


と荒い返しになっている。


こんなにも同じ人に対しての反応が、私の中の「余裕」という部分によって大きく変わるのかと驚いたのだ。


この余裕。余白。


女性が最善に機能するのにとっても大事なアイテムである。


子宮が、ちゃんと働くにも必要な余白。


この余白がなくなると、私たちは機能不全に陥りやすい。


さっきの私のアンドリューへの返答のように、荒削りのトゲトゲオーラが出てくるのである。



ああー私、こうだったよなーって

余裕が出れば、こうやって自分の良いバージョンが出てくるじゃん。


余裕がないと、驚くほど、自分の嫌なバージョンも出てくるんだねえ。



分かっていた事なのに、それを現実で行うには、結局、時間をかける必要がある。


余裕という時間を自分が思っている以上に取る必要がある。


「こんなもんで自分時間いいっしょ。」


ではなく、


1日休みを必要としてたら、3日与える。

2日休養を必要としてたら、1週間ダラダラ時間を与えてあげる。

1週間必要だと思っていたら、1ヶ月ダラダラさせてあげる。


それでようやく、女性って機能するんでした。(反省)


って分かっちゃいたけど、実際にやるまでは、本当に欲しいもんは手に入らない。



来月後半から、ずっと講習会が続くので、

こりゃ、今ダラダラ貯金をして、講習会でバリバリに爆走するようにします。


今月のHeal My Life はお陰様で、満員です。


そして、サンディエゴのI H講習会は、あと1名様です。締め切りは9月31日まで。


あ、そして、子宮の余白を知りたい方は、こちらの生理を整えるオンライン講座がおすすめ。


そして、来月10月18日(カリフォルニア時間)に、とっても興味深いお金のワークショップを行います。その詳細はまた、ブログにて発表します。


それまでダラダラします。




モノクロから虹色へ


(*夜にバーで、生ピアノを聴きながら歌いまくる楽しい時間!)



1 Comment


先生、めっちゃ可愛い♡♡

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