拾ったお金をどうするか
次女の登校は必ず歩くようにしています。
私と次女の2人の時間の確保。
一緒に手を繋いで歩きながら、道にあるお花を見たり、今だとハロウィンの飾り付けを見たり、
歌を歌ったり、木に触ってみたり。
ぶらぶらしながら8時半登校時間ですが、9時や9時15分ごろに到着します。
この時間をきっと自分の時間にも充てられるのだろうけど、
彼女と2人で歩く時間はきっと今だけだから。あと8ヶ月もないぐらいだから。
彼女はきっと覚えていないと思うけど、
私の満足のために。
そんなある日、道端で「ママ、みて!」との声が。
そこにお札が、落ちていました。
あら、一ドル札が落ちてるねえ。
と周りを見回したら、5ドル札とか何枚も落ちていました。
次女が拾った時、まず初めに、「お金は汚いから触らないほうがいい」という声が
頭の片隅から聞こえてきました。
「沢山の人の手に触れたお金は沢山のバクテリアがいるから、必ずお札を触ったら手を洗うように」と
病院で働く友人の言葉が聞こえてきたのです。
触らないほうがいいよと言いかけて、
この考えは私のものではないなあ、と思い、口を閉じました。
落ちているお札を拾う娘を見て、
「交番に届けましょう」
とか
「そこのお家の前にあったんだから、お家の人に渡しにいく」
とか
「落ちた人が取りに戻ってくるかもしれないから、そこにまとめて置いておいてあげよう」
とか
「これは天からの恵みだから、ありがたくいただきましょう」
とか
色んな正しい考え方・対処の仕方が頭をよぎる中で、
娘はただただ、拾っていました。
「お金が落ちていた」
その事象は変わらないのに、それにまつわる沢山の考え方が私の頭を忙しくよぎり、
私は、そのうちのどれが正しいのかと必死になっていました。
皆さんだったら、どんな考えがよぎりますか?
そして、実際にどうします?
そして、なんて子供に説明しますか?
そして、その選択した行程全ては、自分で選んだものですか?それとも、誰かのもの???
今回のクラスで、お金の制限を外すプロのけいこちゃんがこんなことを言ってたんです。
ものの見方は、おそらく人生において、親や先生、友人や、社会から受け取って鵜呑みにしてきた信念というガラクタ。
そしてそれらが私たちを制限し縛り付けているものです。
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鵜呑みにしていたガラクタって。。。苦笑
でも、私自身が拾ったお金をどうするかって自分で考えるよりも先に、
ニュースで聞いたこととか、人がやってるのをどこかで知ったことをベースにしていて
お金というものをどう捉えているかも決まらないまま、
周りのやり方に準じていたなあと感じています。
だから、今回のイントロクラスのまず第一回目は、
「自分のものの見方についてをお話しして、気づく」
という内容になっています。
そしてこの3回シリーズのイントロ内容の流れをけいこちゃんと考えていた時に
私は彼女にこんな質問をしました。
③そもそも「お金をワークする」とはどういうことですか?
すると彼女の回答はこう返ってきました。
お金をワークするということは、人生のあらゆる側面の制限を解除していくことなの。
なぜなら、お金には沢山のものの見方がこびりついている。
「ものの見方があなたの現実を創造する」のです。
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ゾクゾクー
本当にお金という物質を通して、私たちは自分のあらゆる面を表現している。
①で書いたブログでも、お金がもしも人だったら?で出てきた内容は
おそらくですけど、お金に限ったことではないのではないか?と。
お金を通じた「ものの見方」は、きっとお金以外の場所でも同じようなものの見方をしているかもしれない。
どうせ私のところにお金がきても貯まらない。
と思っている人は、
どうせ私のところに誰か好きな人が来ても、ずっとは一緒にいない
とか
どうせ私のところに仕事が来ても、ちゃんと次に結びつかない
とか、
どうせ私のところにいい話は来ないし、来てもうまくやれない。
って。
私はそうでした。
お金に対して、どう接したらいいのかよくわからない。正しい方法を知らない。
だから、
初めて会う人にも、どう接したらいいかよくわからない。
初めての仕事にも、どう受け答えらたらいいのかよく分からない。
つまり、正しい方法を知らないと動けない私。
だったんです。
でも、お金に対して、よく分からないけど、人見知りはやめて興味を持ってみる。
って思ってから、
新しくあった人に興味を持って、話すことが増えました。
仕事の話があっても、私にできることって何かあるかな?って。
正しくないと動けない私は、とっても重たかった。
全部知るまで何も出来ないって、自分を完璧主義に追いやってた気がします。
冒頭に戻りますが、
そんな私は、拾ったお金をどうしたと思いますか?
私は、今までにない方法を自分で考えて自分で選びました。
人はどういうか、どう思うかわからない、納得するかも分からない。
でも、私の中では、この選択ができた私をすごく心地よく感じるという経験を手にしました。
何やったんだ?って??
うーん。それは、読んでる方のガラクタに貢献してしまうことになるので、書かないことを選びたく思います。
もしも、迷った方は一緒にイントロクラスで自分のものの見方(信念)に気づいてみませんか?
詳細はこちらです。
第一回目は2週間後。
アーカイブ視聴もできます(期間限定)ので、気楽にお越しくださいませ。
次回は、お金のワークをした未来についてです。
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