神様からの宿題
次女の娘の幼稚園のツアーに行ってきました。
家族全員で 笑
長女の小学校も見学に全員で行きました。なんならゴッドファーザーも連れて。笑
3歳になった娘は
私の範疇を超えるスピードで知性が芽生えているのを感じます。
私がもう教えられる事はないなっていうぐらい。
一緒にいてもつまらないだろうとすら思うぐらい。
たくさんの刺激を必要として、
たくさんの人との関わりを必要としてるのをヒシヒシと。
3歳までは親と一緒に。預けるなんてかわいそうという呪縛に私は少しかかっていたんだと
思うほど、その幼稚園に入って18ヶ月の子供たちが遊んでるのを見た時に
思いました。
幼児期に子供が集中して何かに取り組むことがある。
それが、トイレットペーパーを全部回すことかもしれない。
それが、うんちをつつくことかもしれない。
それが、ティッシュを全部出すことかもしれない。
でも、子供が集中しているときは「神様の宿題」をしてる時だから
親は邪魔してはいけない。そう学んだ時は、あまりにも神聖で泣けた。
「もったいない」
「これやった?」
「先に食べちゃいなさい」
「着替え終わったの?」
本当にこんなどうでもいい言葉たちで
神との対話を邪魔してはいけない。
どんどんやらせていけばいい。
そしたら、その子らしい人生を育む力が出来上がるから。
それをできる限りやってたら、もう次女が2歳の後半には私の元にいるのでは
持て余す感じをひしひしと感じた。
彼女の神経がスパークしたがってるのに、
私が何も提供できない感を感じてたので
今回モンテソリーの学校に行った時、全身でホッとした。
そして3歳児の教室に足を踏み入れた時、
あああ、ここだ〜!!!と。
ここが次女がいるべき場所だって思ったんです。
知性を刺激するものがいっぱいある。
手と目を使って、脳を発達させるものが沢山ある。
先生たちは極力声をかけない。
子供たちが熱心にやりたくなるものが沢山ある。
神様からの宿題をやれる環境じゃない!!と。
シュタイナー教育を見ていたけど、コロナの後の変更でなかなか手続きが進まず
足止めを食らってる感じだったんです。
きっとここであれば
彼女はもっと神様からの宿題を一生懸命にやるだろうなと。
「やだ」
っていっぱい言ってきたし、いっぱい今も言われるんですが。
「やだ」と彼女がいうたびに、
私は、イラってする私と、
(めっちゃ自己肯定感高めることいってんじゃん)
と娘を眩しく思う私がいます。
そして、そのイラッとした時は、自分に余裕がない時なのだと気づく瞬間でした・です。
体力の余裕
睡眠の余裕
お金の余裕
夫婦の余裕
仕事の余裕
それらを見直す。
子供の「嫌だ」のせいでイラッとしてるんじゃない。
私の余裕がないのを、突かれてるに過ぎないと
この5年間は自分の人生について沢山見直す時間だったなあと振り返って思っています。
だから、私にとっても神様からの宿題の時期。
「お前は、自分の人生の舵をちゃんととってるのか?」って聞かれてた感じ。
沢山自分と向き合い
沢山迷い、間違い、軌道修正して、これでいいのかと進んで
沢山彼女たちを観察してきたこの5年。
だから、幼稚園にもういっちゃうの?週5も?というよりも
なんか、彼女たちにとって、家以外の学べる場所があることに感謝だなあ。
社会よ、ありがとう。
さあ、いっておいでー!
腹減ったら戻ってこいよー
って気持ちでいっぱいです。
さあ、9月から長女はキンダーへ。次女は幼稚園へ。
二人とも週5の学校生活が始まります。
ヒャッホーイ
ここまで、足りないながらも、私よく頑張ってきたジャーンと心がほくほくしています。
ここから、活動を少しずつ元に戻していこうと思います。
子供たちと一緒に私も社会へ、パタパタパタ。
モノクロから虹色へ
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